【読み聞かせたい親必見!】親子で楽しめる児童文学を紹介します。『二分間の冒険』

書評

はじめに

<span class="bold">マイマイ</span>
マイマイ

こんにちは!読書大好きマイマイです!

今回は、幼いころに毎晩のように本を読み聞かせてもらい、すっかり読書好きになった私マイマイが、寝る前の読み聞かせにもぴったりな一冊『二分間の冒険』(著者 岡田淳)をご紹介します。

  • 読み聞かせにぴったりの本を探している
  • 小学生でも楽しめる児童書がほしい!
  • 親の視点からも深く味わえる作品がいい!

といった方にはぜひ、最後まで読んでいってくだされば幸いです。


あらすじ(ネタバレなし)

小学六年生の主人公、は放課後の学校にて人のことばを話す黒猫「ダレカ」と出合います。ダレカは、とげぬきで見えないとげを抜いてほしいと悟に頼み、困惑しながらも悟は言われた通りにしてあげました。
ダレカはお礼に一つ願いをかなえると言いましたが、悟は、願いを考える時間が欲しかったので、「時間をおくれ」といってしまいました。
するとダレカはその言葉を願いと捉え、現実とは違う異世界へと、悟を連れ込むのでした。

悟の送られた世界はなにもかもが異質な世界で、なんと、この世界では悟が老人になるくらいの時間がたっても、現実で2分しかすぎていないくらいだといいます。
ダレカは、かくれんぼをしようと言い、「おれは、この世界で、いちばんたしかなものの姿をしているよ」というヒントを残し消えてしまいました。

森をさまよううちに悟は、同じ学校の六年生たちと出会います。しかし、彼らは現実世界と同じ顔や名前を持ちながらも、悟をまったく知らない“別の世界の子どもたち”でした。
この世界では、二か月に一度、子どもたちの中から二人が選ばれ、恐ろしい竜のもとへ“いけにえ”として送られるという掟があったにも関わらず、事情を知らない悟は、軽い気持ちでその役目を引き受けてしまいます。

こうして、なにもかもが異質な魔法の世界で、過酷で奇妙な竜退治の冒険がはじまるのです。

「二分間」の中で繰り広げられる冒険を通じ、悟が見つける「いちばんたしかなもの」とは、、、

読み聞かせにオススメなポイント

  • 文字で鮮明に描かれる情景
  • 主人公が子どもの目線で描かれている
  • なぞなぞや言葉遊びが楽しめる
  • 大人にも響く深いテーマ

文字で鮮明に描かれる情景

岡田淳さんの描写は、小学生にも伝わるほどシンプルなのに、読んでいるとまるで映画のように場面が頭に浮かびます。
耳で聞くだけでも物語の世界が自然と広がり、本を読むことが少し苦手なお子さんでも、情景を“感じ取る”楽しさに気づかせてくれます。

主人公が子どもの目線で描かれている

主人公の悟は小学六年生の少年として描かれており、物語の中では意図的に大人が登場しません。
この世界では、竜の魔法によって衣食住のすべてがまかなわれています。悟はその不気味さに戸惑いますが、異世界の住人たちはそれを「当たり前のこと」として受け入れているのです。

私はここに、子どもの視点のメタファーが隠されているように感じます。
たとえば、朝食に並ぶ卵やベーコン、牛乳。子どものころは、それがどのように作られ、どこから来たのかを深く考えることはありませんでした。
与えられた世界の仕組みを“当然のもの”として受け入れて生きている――悟の感じた違和感は、まさにそこに気づき始める瞬間の象徴なのだと思います。

子どもにとっては主人公への共感を通して物語に入り込みやすく、
大人にとっては、かつて自分が見ていた世界を思い出すような懐かしさと示唆が同時に味わえる。
それが『二分間の冒険』という物語の大きな魅力の一つです。

なぞなぞや言葉遊びがたのしめる

物語の中心には、「この世界でいちばんたしかなものの姿をしたダレカを探す」という謎解きの軸があります。
誰がダレカなのか――読みながら推理を重ねていく過程がとてもスリリングで、最後まで飽きることなく物語に引き込まれます。

さらに、竜を倒す方法そのものが“なぞなぞ”や“言葉遊び”として描かれているのも、本作の大きな魅力です。
親子で一緒に読み進めながら、「これはどういう意味だろう?」と考えたり、「もし自分ならどう答えるかな」と話し合ったりする時間は、まさにこの作品ならではの楽しみ方だと思います。

大人にも響く深いテーマ

この小説、とにかくテーマが深いんです。

私が初めて『二分間の冒険』を読んだのは小学生のころ。
父によみきかせをしてもらって以来、ずっと心に残っていた作品でした。
そして今回、このブログを書くにあたり、18歳になった今、改めて丁寧に読み返してみたのです。

子どものころは「ちょっと不思議なお話だな」と思いながら、情景の鮮やかさやなぞなぞの面白さに夢中になっていました。
けれど、大人として読み直してみるとそこには、世界的な哲学者デカルトの言葉「われ思う、ゆえにわれあり」をおもわせるほど、深いテーマが隠されていることに気づきました。

さらに、先にも触れた“子どもと大人の対比”が、このテーマを巧みに支えるメタファーとして描かれています。
現実と空想、幼さと自覚、その境界を見つめるような構成に、思わず息をのむほどの奥行きを感じました。

もっと詳しいテーマの解説につきましては、ネタバレを含みますゆえ、最後にて書かせていただきたいと思います。
読了後、より深い私の解釈を読みたい方は、こちらからどうぞ(解説に飛びます)

『二分間の冒険』の基本情報

著者

著者は岡田淳(おかだ じゅん)さんです。
岡田淳さんは日本の児童文学作家で、数々の文学賞を授賞されている方です。
挿絵・イラスト作家、エッセイスト、翻訳家でもあるそうです。
Wikipediaページ

発行日、発行元、受賞歴

発行日は1985年4月。
発行元は偕成社。
受賞歴は、昭和60年度 第2回うつのみやこども賞を受賞。


まとめ

いかがでしたか?
『二分間の冒険』は、子どもにとってはわくわくする冒険物語でありながら、
大人にとっては「生きるとはなにか」「確かなものとはなにか」を静かに問いかけてくる深い一冊です。

鮮明に描き出される空想の世界は、ページをとじたあともずっと心に残ります。
寝る前の読み聞かせに、親子で声を交わしながら読むのもおすすめです。
子どもは物語の冒険を楽しみ、大人はその奥に潜む意味を感じ取る。
世代を超えて語り継がれる、まさに“読めば読むほど味わいが深まる”作品だと思います。

少しでも気になった方はぜひ手に取って、親子で読んでみてください。

解説(読了後推奨)

ここからは、作品のテーマをより深く掘り下げ、私なりの解釈を書かせていただきます。
物語の核心に触れる直接的なネタバレは避けますが、読了前にお読みになると最高の読書体験を損ねてしまうおそれがあります。
ぜひ一度、作品を最後まで読み終えてから、お読みいただくことをおすすめします。

「われ思う。ゆえにわれあり」

これは世界的哲学者、デカルトが残した自分の存在を証明する命題です。
「私はすべてを疑っている。つまり、たとえこの世界のすべてが虚偽であっても、そのように考えている自分だけは確かに存在している」という意味です。

自分が考え、感じるという事実こそが、揺るぎない自分の存在証明なのです。

『二分間の冒険』では、この「一番確かなもの」が物語の鍵として描かれています。
ダレカを探す冒険を通じて、悟は「確かなもの」について必死に考え、冒険をすることになります。
その体験を通して、読者自身もまた、自分の存在や考える力の大切さを自然と考えることになるのです。

さらに、本作にはさまざまなメタファーが巧みに隠されています。
先に触れた竜の魔法は、与えられた世界の仕組みを“当然のもの”として受け入れて生きる、子ども目線の感性の象徴です。
そして、竜の吐くブレスは一人の人生分の時間を奪い、それが子どもを世話する魔法の力の源になります。
これはまさに、労働のメタファーでもあり、竜の魔法で育てられ、いけにえとして差し出されることでまた魔法の源となるサイクルは、子育てのメタファーとしても読み取れます。

こうして『二分間の冒険』では、哲学的な「自分の存在」と、子ども目線の感性や社会的サイクルのメタファーが、巧みに組み合わされています。
物語を読み進めるうちに、自然と「自分にとって本当に大切なものは何か」を考えるきっかけになるのです。

読者の皆さんも、もし悟の立場でこの世界を旅したら、何を「確か」と感じるでしょうか。
ページをめくるたびに、自分の考える力や感覚が問いかけられる――そんな体験こそ、この作品の大きな魅力です。

子どもも大人も、声を出して読み聞かせながら、あるいは一人でじっくり考えながら楽しめる『二分間の冒険』
読了後には、これまで気づかなかった日常の小さな「確かさ」に、自然と目が向くことでしょう。

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